スペイン、マドリードの北方約250キロ、カスティーリャ・イ・レオン州の中心都市ブルゴス郊外に位置するミランディージャ渓谷。電気も通っていない自然豊かな土地だが名所旧跡もなければレクリエーション施設もない。が、いつからか、そこを訪れ、なにかを探しているような旅人の姿が頻繁に見受けられるようになった……どうやらそこは、昔々、ある映画が撮影された場所らしい。しかし、50年近い年月、風雨、そして自然の力によって、皆がめざすべき聖地はすべて土と緑に覆われ、荒野へ還っていた。
2014年、4人の男たちが立ち上がった。教師、バーテンダー、宝くじ売り、民宿の主人……地元に住む、映画作りとは何の関係もない普通の庶民だが、全員がある映画の大ファンだった。そのタイトルは、『続・夕陽のガンマン』。1966年の夏に撮影されたセルジオ・レオーネ監督によるマカロニ・ウエスタンの傑作だ。クエンティン・タランティーノ監督が生涯最高の映画と絶賛する作品として映画ファンには広く知られている。主演はクリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフ、イーライ・ウォラック。この3人が隠された金貨の行方を巡って丁々発止・だましだまされ、追いつ追われつの探索行を繰り広げ、最後にたどり着いた巨大な墓地で三角決闘へなだれ込む。高らかに鳴り響く映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネによる名曲「黄金のエクスタシー」、そして「対決」のテーマ……その舞台となった墓地「サッドヒル」が作られたのが、まさに、このミランディージャ渓谷だったのだ。
映画撮影用に造られた墓地は、なんと5000基の墓標が円形に配置された巨大なオープンセットで、制作には数百人のスペイン軍兵士が動員されたことがわかる。木や草を取り、土を掘り起こす作業は遅々とし進まなかった。4人が結成した「サッドヒル文化連盟」が、インターネットを通じてボランティアを募集するとヨーロッパ中からボランティアたちが集まってきた。ただ『続・夕陽のガンマン』が好きだ、という理由だけで、クワやスキやシャベルを手に、フランス、イタリア、ドイツなどから列車に乗ってやってきた人々は、のべ数百人におよんだ。
2016年、『続・夕陽のガンマン』撮影50周年を記念するイベントが「サッドヒル」で開かれることとなった。5000基の墓の復元までにはならなかったが、約2000基の墓標とクライマックスシーンの舞台となった円形広場は往年の姿を取り戻していた。広場では、楽団による音楽の演奏、決闘の再現演劇、映画のスタッフや関係者の挨拶、そして『続・夕陽のガンマン』の映画上映が華々しく行われた。映画上映に先立って、ギレルモ・デ・オリベイラ監督が各地を回って撮影してきたスペシャルメッセージが紹介された。決闘シーンに先立つ場面に流れる「黄金のエクスタシー」を30年以上コンサートのオープニングで使い続けている世界最強のヘヴィメタル・バンド「メタリカ」のジェイムズ・ヘットフィールド、クエンティン・タランティーノ作『ヘイトフル・エイト』でアカデミー賞®作曲賞を受賞したばかりのエンニオ・モリコーネ……
そして、奇跡は起こった。映画ファンの愛と熱意が結実した瞬間だった。
本作は、2017年東京国際映画祭でワールド・プレミア上映された。2018年、シッチェス映画祭ではニュー・ビジョンズ部門最優秀作品賞に輝き、アルメリア・ウエスタン映画祭の最優秀芸術貢献賞を受賞している。
映画『続・夕陽のガンマン』
1966年イタリア・スペイン・西ドイツ合作。セルジオ・レオーネ監督作品。日本での劇場公開時(1967)の題名は『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』。英語題名は『The Good, the Bad and the Ugly』(「いいヤツ、悪いヤツ、ひどいヤツ」)。
クエンティン・タランティーノが選ぶ世界最高の映画にして、マカロニ・ウエスタン最高傑作。「いいヤツ」=クリント・イーストウッド、「悪いヤツ」=リー・ヴァン・クリーフ、「ひどいヤツ」=イーライ・ウォラックが南北戦争の間隙を縫って隠された金を求めてだまし合い、ついに「サッドヒル」と呼ばれる墓地で三角決斗に及ぶ波乱万丈のアドヴェンチャー西部劇。エンニオ・モリコーネの超絶名曲「黄金のエクスタシー」が流れる中、トゥーコ(イーライ・ウォラック)が墓場を走り回るシーンは映画史に残る名場面。1980年代にはUSCなどアメリカの大学の映画学科で「フィルム編集」の教材として使われていたという。
撮影は1966年5月~7月にかけてイタリアとスペインで行われた。ブルゴス近郊では、「サッドヒル」の場面や南北戦争を再現した橋爆破場面が撮影された。
サッドヒル
サッドヒルとは、映画『続・夕陽のガンマン』でブロンディ(クリント・イーストウッド)、トゥーコ(イーライ・ウォラック)、エンジェルアイ(イタリア版ではセンテンサ/リー・ヴァン・クリーフ)が探す墓地の名前。トゥーコは、砂漠で偶然出会った瀕死の南軍兵ビル・カーソンから、20万ドルをサッドヒル墓地に埋めたと聞きだす。が、トゥーコが水を取りに行っている間にカーソンは死んでしまい、金貨が埋められている墓碑の名を聞いたのはブロンディだけ。それまでいがみあっていた2人は、仕方なく共同でサッドヒルを探さざるを得なくなる。トゥーコは南軍兵カーソンに化けていたために北軍に捕まり、エンジェルアイに拷問されて、サッドヒルの名を吐いてしまう。いやおうなしに南北戦争の真っただ中に放り込まれた3人だったが、ついにサッドヒル墓地にたどりつき、映画史に残る三角決闘に挑むことになる……。
サッドヒル墓地のオープンセットが建造されたスペイン北部ブルゴス郊外のミランディージャ渓谷は、セルジオ・レオーネいわく「アメリカのバージニア州みたいだ」ということで選ばれた。レオーネが「決斗の舞台となるのは古代のサーカスのような円形闘技場」と指定した広場とそれを囲む5000基の墓標は、美術監督カルロ・シーミと美術助手カルロ・レバがデザインし、スペイン軍兵士250人によって2日間で造り上げられた。およそ50年後、それを「堀り返す」ために費やされたのは、のべ数倍の人員と数百倍の時間だった。
セルジオ・レオーネ(Sergio Leone)
1929年~1989年。60年の生涯に監督作わずか7本と寡作だが、そのすべてが傑作と評されるマカロニ・ウエスタンを代表するイタリアの名監督。マカロニ・ウエスタンの名を世界中に知らしめた『荒野の用心棒』(1964)は、日本映画『用心棒』(黒澤明監督/1961)を西部劇に翻案したもの。現役当時は評価は決して高くなかったが、没後になってそのストーリーテリング、ビジュアルスタイル、音楽の素晴らしさなどが再評価されている。音楽のエンニオ・モリコーネとは小学校の同級生。『サッドヒルを掘り返せ』のギレルモ・デ・オリベイラ監督が最初に観たレオーネ作品は、ニューヨーク・フィルム・アカデミーのロサンゼルス校の授業で『ウエスタン』だったという。
【監督作品】
『ロード島の要塞』(1961)『荒野の用心棒』(1964)『夕陽のガンマン』(1965)『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966)『ウエスタン』(1968)『夕陽のギャングたち』(1971)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)
イーライ・ウォラック(Eli Wallach)
1915年ニューヨーク生まれ。『続・夕陽のガンマン』でトゥーコ役を演じたアメリカの俳優。2014年に98歳で死去。それをきっかけに「サッドヒル文化連盟」が結成され、サッドヒルの掘り返し活動が開始された。ブロードウェイ出身でスタニスラフスキー演技法やメソッド演技で知られるアクターズ・スタジオの創設メンバーの一人。マーロン・ブランド、ジェームズ・ディーン、デニス・ホッパーらの先輩にあたる。黒澤明の『七人の侍』のハリウッド版『荒野の七人』(1960)に山賊のボス役で出演している。そのほかの主な出演作に『ベビイドール』『荒馬と女』『おしゃれ泥棒』『荒野の三悪党』『ザ・サムライ/荒野の珍道中』『ミスティック・リバー』『ホリデイ』『ウォール・ストリート』などがある。
若き才能
ギレルモ・デ・オリベイラ監督
『サッドヒルを掘り返せ』は、スペイン人監督ギレルモ・デ・オリベイラの第一回監督作品。アメリカのフィルム・スクールで映画を学んだオリベイラは、ゲームを素材にした短編アクション映画を撮ってYouTubeで公開していた。
あるとき、『続・夕陽のガンマン』のクライマックスシーンが撮影された墓地を掘り返す活動をしている男たちの存在を知り、週末に現地を訪れてカメラを回し始めた。「サッドヒル」があるブルゴスは、オリベイラの住むマドリードから車で往復5時間はかかったという。完成したらYouTubeにアップしようというぐらいに考えていたが、数カ月撮り続けていくうちにプロジェクトは次第に大きくなっていき、その過程で、『続・夕陽のガンマン』の製作に関わった人たちにインタビューをする企画を思いついた。やがてその企画は現実になり、本作が完成した。
掘り返したロケ地について
掘り返したロケ地は、スペインのブルゴスにあるサント・ドミンゴ・デ・シロスという小さな村にある。土地は国有地でサント・ドミンゴ・デ・シロスの自治体に属し、誰でも訪れることができる。
サッドヒル文化連盟は、サッドヒルの土地を“Protected Heritage Site” (通常は教会やお城に与えられる名称)として認定してもらえるよう国にかけあっている。もし実現すれば撮影地としては初の認定となる。
現在は環境のメンテナンスをサッドヒル文化連盟が行っているが、“Protected Heritage Site”として認定されれば十分な保護と管理が期待できる。